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神戸地方裁判所尼崎支部 昭和50年(ワ)46号 判決

原告 田中隆一郎

右法定代理人親権者父 田中六百年

同母 田中紀子

原告 田中六百年

原告 田中紀子

右原告三名訴訟代理人弁護士 岩井昇二

同 大友秀夫

同 岩井宜子

右岩井昇二訴訟復代理人弁護士 池田桂一

被告 井上康

右訴訟代理人弁護士 米田泰邦

被告 関保平

右訴訟代理人弁護士 松本泰郎

主文

一  被告井上は、原告田中隆一郎に対し金一六八九万一、五三八円、原告田中六百年に対し金七三四万五、三八八円、原告田中紀子に対し金二〇〇万円と右各金員に対する昭和五〇年二月九日から各支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告らの被告井上に対するその余の請求、並びに被告関に対する請求をいずれも棄却する。

三  訴訟費用はこれを二分し、その一を原告らの、その余を被告井上の負担とする。

四  この判決は第一項に限り仮に執行することができる。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  原告ら

1  被告らは各自、

原告田中隆一郎に対し、金四〇七一万二、六〇七円、

原告田中六百年に対し、金一五六九万〇、七七六円、

原告田中紀子に対し、金五〇〇万円、

と右各金員に対する昭和五〇年二月九日から各支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告らの負担とする。

3  仮執行の宣言

二  被告ら

1  原告らの請求をいずれも棄却する。

2  訴訟費用は原告らの負担とする。

第二当事者の主張

一  原告ら

1  当事者

原告田中隆一郎(以下、原告隆一郎という。)は、原告田中六百年(以下、原告六百年という。)と原告田中紀子(以下、原告紀子という。)との長男であり、被告井上康(以下、被告井上という。)は肩書地において井上産婦人科医院(以下、井上医院という。)を、被告関保平(以下、被告関という。)は肩書地において関小児病院(以下、関病院という。)を開業している医師である。

2  診療契約等

(一) 原告六百年、原告紀子は、原告紀子が井上医院に入院した昭和四五年四月九日、被告井上との間で、原告紀子の分娩する子の心身に異常があれば診療する旨の診療契約を締結し、更に、同月一〇日、原告隆一郎の出生に伴ないその法定代理人として、被告井上との間で右同旨の診療契約を締結した。

(二) なお、原告紀子は妊娠三か月目の昭和四四年九月ころから井上医院に定期的に通院し妊娠中の診療を受けていたが、その当初から、被告井上に対し、自己の血液型がO型で、夫である原告六百年の血液型がB型であること、妊娠中の子が第二子であること、従って血液型不適合による核黄疸発生の可能性が極めて大であることを告げ、昭和四五年二月二七日の診察日にも再度その対策を確認した。これに対し被告井上は、井上医院では黄疸に対する万全の検査設備を有し、交換輸血を即時実施できることを特に保証した。

(三) 被告井上は、同年四月一三日原告隆一郎を関病院に転医させるに際し、原告隆一郎に交換輸血する旨の診療契約を被告関との間で締結し、原告らは、同日被告井上の指示により被告井上と被告関との右診療契約に基づき、被告関との間で原告隆一郎に対する右同旨の診療契約を締結した。

(四) このように、原告らと被告井上、被告関との三者間には、目的を一にし継続一体をなす診療契約が存したのであるから、被告らにおいて、原告隆一郎の診療についての連帯債務者となる旨の黙示の特約をなしたものというべきである。

3  原告隆一郎の症状及び診療経過

(一) 原告隆一郎は、出産予定日より二〇日ばかり早く、昭和四五年四月一〇日午前〇時七分井上医院において出生した。出生当初その身体に異常はなく、順調に、同日午前一〇時三〇分には五%のブドウ糖液を二〇c.c.、午後一時三〇分からはミルクを与えられ、午後四時三〇分にはミルク七〇c.c.を飲んだ。

しかし、翌一一日午前一時三〇分には黄疸が可視状態に達し、哺乳量は減少し(特に一一日午前一〇時三〇分、午後一時三〇分には、わずか二〇c.c.しか飲まなかった。)、一一日午後四時三〇分ころの血清ビリルビン値(以下、単にビ値という。単位はmg/dlで、以下同様。)は八・八であったが、哺乳量は減少したまま推移し、翌一二日の早朝一時三〇分ころには原告隆一郎はオレンジ色をして素人目にも黄疸であることがはっきりとわかる状態で、一二日午前一〇時三〇分ころのビ値は一八、同日午後六時三〇分ころのビ値は二二・五となり、一二日午後七時三〇分からは自らの力でミルクを飲むことが全く不可能となったため五%のブドウ糖液を三五c.c.投与され、啼泣力はなく、元気のない状態であった。

(二) ところで、被告井上は、一二日は一日中外出して午後七時ころに帰宅するまでその所在がわからなかったところ、同日午後七時三〇分ころ、原告六百年、原告紀子に対し、「設備は整っているし、実際当院でも何度か交換輸血手術をやっています。しかし、今日は日曜日でもう夜も遅いし、現在ビ値が二二・五だから手術をするか否かの境目にあたる。手術といっても二五%くらい危険が伴う。ビ値が二五までいったら手術をしますから、今晩は当院で様子を見て、明日までもたせましよう。」という経過報告とその了解を求め、原告紀子が転医先を指定して、速やかな転医を申し出たに対し、これを一蹴した。

(三) ところが、翌一三日午前八時にはビ値二八・六に達し、被告井上は原告隆一郎を関病院に転医させるより原告らに指示してきた。原告らは止むを得ず右指示に同意し転医することとなったが、転医した同日午前九時三〇分ころには、原告隆一郎は口唇チアノーゼ、小さなけいれん様の状態、腹は中程度に膨満しやや固い、四肢は自動運動時に認めるが四肢強剛の存在が疑われる状態で、四肢振顫及び強直性けいれんを繰り返えし、素人目にも核黄疸であることが明らかであった。

(四) 原告隆一郎は、その後、同年七月二八日まで関病院に入院していた。

4  現在の後遺症状

原告隆一郎は脳性麻痺により知能の発達が阻害され、現在、起座不能で言語能力はなく、食事、排泄、衣類の着脱等全面介助を要する重度の精神障害を残しており、昭和四六年五月ころ大阪府から身体障害者一級と認定されており、この状態は将来に亘り治癒回復する見込みが全くない。

5  右後遺症の原因

右脳性麻痺は、新生児高ビリルビン血症を原因とする核黄疸の後遺症である。このことは左の事実により認められる。

(一) 原告らは血液型不適合による高ビリルビン血症に罹患する頻度の高い体質及び条件を具備していた。即ち、母である原告紀子の血液型はO型で、父である原告六百年の血液型はB型であるが、これは血液型不適合の一類型であり、また原告隆一郎は右原告らの第二子で男子であるが、第二子の男子は、第一子或るいは女子の場合よりもはるかに本症発生の頻度が高いといわれている。

(二) そして、原告隆一郎のビ値は、前記のとおり、生後二五時間目である四月一一日午前一時三〇分に黄疸が可視状態に達した後、生後四〇時間目でビ値八・八、同五八時間目でビ値一八、同六六時間目でビ値二二・五、同七九時間目でビ値二八・六と短期間に異常な程上昇しており、右は一般の新生児に出現する生理的黄疸の範囲をはるかに越えた、核黄疸を生ぜしめる危険のある異常黄疸であったことを示し、また右ビ値の増加速度はABO血液型不適合児のビ値増加例とほとんど同一である。

仮に、ABO血液型不適合によらない高ビリルビン血症であったとしても、その治療方法においてABO血液型不適合による新生児高ビリルビン血症と何ら異なるものではない。

(三) 核黄疸の臨床症状は、

第一期 筋緊張の低下、嗜眠、哺乳力減退、不元気

第二期 筋強直、発熱

第三期 筋強直の減退

第四期 錐体外路症状の出現(死亡を免れた場合の後遺症状)

の四期に区別されるが(以下、右を単に第一期症状、第二期症状という。)、第二期症状出現後においては脳の病変は不可逆性となって恒久的な脳障害による後遺症を残す可能性が強いとされるところ、原告隆一郎の前記症状によれば、四月一三日関病院への転医時には既に核黄疸の第二期症状の段階にはいっていたことが明らかである。

(四) また、原告隆一郎の脳性麻痺は、核黄疸の後遺症である脳性麻痺の特性であるアテトーゼ様の不随意運動を示すいわゆるアテトーゼ型脳性麻痺であり、アテトーゼ型脳性麻痺は核黄疸の後遺症と判断されるのが一般的である。

6  被告井上の不完全履行

(一) 当時の医学界における知識水準によれば、核黄疸は、黄疸の強くなった時点でビ値を測定し、それが一定値以上であれば核黄疸を予測し、その時点で、或いは遅くとも第一期症状の現われた時点で速やかに交換輸血を行なうことにより、後遺症を残すことなく完治できた筈である。

新生児の間接ビリルビン性重症黄疸の予後は、核黄疸を併発するか否かにより決定されるといっても過言ではない。核黄疸発生防止策としては、種々の薬物療法等も考案されてはいるが著効は期待し難く、現在では、交換輸血がその全てである。そして、交換輸血による治療成績は、その施行時期を失しなければ、まず満足すべきものであって、当時における最善の治療法であった。

(交換輸血の時期)

新生児重症黄疸と生理的黄疸との限界値は、成熟児ではビ値一二、未熟児ではビ値一五、一日の上昇度はビ値五以下とする説が大多数で、核黄疸発生に関する限界値としては、成熟児ではビ値二〇、未熟児ではビ値一五とする説が大多数である。特に、ビ値二五以上になった場合はその約四分の一が脳性小児麻痺の後遺症を残す可能性があると指摘されている。もっとも、第一期症状がみられない限りビ値二五を限界値として差支えないとも考えられているが、第一期症状を完全に把握することは非常に困難であるから、実地臨床上は成熟児でビ値二〇、未熟児でビ値一五とするのが無難とされている。又、第二期症状出現以後においては脳の病変は不可逆性となっており、たとえ交換輸血によって救命し得ても恒久的な脳障害による後遺症を残す可能性が強いので、第一期症状の所見される時は、ビ値に関係なく核黄疸発生防止の治療がなされなければならない。

よって、第一期症状の確認か、若しくはビ値二〇のいずれかを交換輸血の限界時点としなければならない。

(二) 被告井上は、前記診療契約により、診療の委任を受けた医師として、原告隆一郎に対する入念な診療検査を行なうことにより、核黄疸後遺症の危険性を予測して最善の治療をなし、もしその検査・治療に必要な設備を備えていないならば、これを完備し治療可能な病院に原告隆一郎を転医させるなりして、核黄疸による後遺症を未然に防止すべき注意義務を負っていた。

然るに、被告井上は、原告らの度重なる診療要請にもかかわらず、原告隆一郎に対する綿密な診療を怠った結果、核黄疸を予測し得ず、或いは、その原因を初期の時点で発見できず、その治療の時期を失した。

即ち、被告井上は、四月一一日午後四時三〇分のビ値八・八からビ値一八と上昇した四月一二日午前一〇時三〇分の段階で、ビ値が一八時間で九・二上昇し、危険値とされる一日当りビ値五の上昇度をはるかに超過しているのであるから、また前記のとおり原告隆一郎は啼泣力もなく、哺乳量も減少して一二日未明には第一期症状がはっきりあらわれていたのであるから、ビ値急上昇を想定し、直ちに交換輸血の措置を採るべきであった。けだし、右上昇の度合いから判断して交換輸血の限界値であるビ値二〇にまで上昇する可能性は非常に高く、被告井上のもとには交換輸血のための人的物的設備がなかったのであるから経過観察をして最悪の事態まで待つ余裕はなかったからである。にもかかわらず、被告井上は四月一二日を無為に過ごした。

更に、同四月一二日午後六時三〇分にはビ値は二二・五となり、八時間でビ値は四・五上昇し、同日午後七時三〇分には原告隆一郎は全く自力では哺乳できない状態となって第一期症状の所見がなされたのであるから、直ちに交換輸血の治療可能な病院に転医させ、核黄疸の発生を未然に防止すべき義務があったにもかかわらず、これを怠り、経過観察と称して漫然と無為に過ごし(被告井上のなした投薬は、その大半が無効なばかりか、むしろ低下するビ値の下降を抑制し、逆効果を招くものであった。)、翌四月一三日午前九時三〇分に関病院に転医させるまで留めおいたため、一三日午前八時にはビ値二八・六と上昇し、関病院に転医された時には、既に核黄疸の第二期症状の段階に入っていたものである。

このように、被告井上は、核黄疸の発生を防止すべき処置に重大な過失を犯し、ビ値が二八・六に至る四月一三日朝まで原告隆一郎を自己の管理領域に留め置いたことにより、原告隆一郎に、前記脳性麻痺の後遺症状を残さしめたものである。

(三) 仮に、右脳性麻痺の原因が被告ら主張の如く感染症である敗血症であったとしても、原告隆一郎が新生児重症黄疸であったことは否定できず、また敗血症だとすれば、その原因となった感染を防止すべき義務の懈怠もしくは早期に正しい診断を行ない適切な治療をなすべき義務の懈怠によりいずれにしても、診療契約上の責任は免れない。

7  被告関の責任

被告関は、漫然と診療を引受け、相当な手術をなすべき義務を懈怠し、交換輸血に失敗し、前記後遺症を残さしめた。

8  損害

(一) 原告隆一郎

(1) 逸失利益

原告隆一郎は満一八才から六七才に達するまで就労可能であるところ、前記後遺症により労働能力を全く喪失したものというべきである。

そこで、賃金センサス第一巻第一表昭和四八年度全産業全男子労働者の平均年収額一六二万四、二〇〇円(現金給与額月額一〇万七、二〇〇円の一二か月分と年間賞与その他特別給与額三三万七、八〇〇円を加算したもの。)に就労可能年数四九年を乗じた額から中間利息を控除し(原告隆一郎は本訴提起時満四才でホフマン係数は一七・六七八となる。)、少なくとも、金二八七一万二、六〇七円の逸失利益というべきである。

(2) 慰藉料

金一二〇〇万円

(二) 原告六百年

(1) 監護費用

原告六百年は、原告隆一郎が日本男子の平均寿命である七〇才までは生存すると推測されるのでその間、監護費用として一か月金三万円を負担すると考えられる。そこで、右金額を基準として中間利息を控除すると(ホフマン係数は二九・六九六六)、監護費用は金一〇六九万〇、七七六円となる。

(2) 慰藉料

原告六百年は父として、全く自力で生活活動のできない原告隆一郎を生涯にわたって赤児に対するのと同様に片時も離れず面倒をみていかねばならず、その苦痛は筆舌に尽くし難いものがある。よって慰藉料としては金五〇〇万円が相当である。

(三) 原告紀子

右同様に慰藉料として金五〇〇万円

9  よって、原告らは被告らに対し、債務不履行に基づく損害賠償として、被告ら連帯して、前記各損害額とこれらに対する本訴状送達の日の翌日である昭和五〇年二月九日から支払ずみまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める。

二  被告井上

1  原告ら主張1の事実は認める。

2(一)  原告ら主張2(一)の事実中、原告紀子について、昭和四四年九月二日から診療を開始して定期的診療を続け、陣痛発来のため昭和四五年四月九日午後八時四五分に入院したこと、右入院時に包括的に、分娩介助及び分娩後の母子の診療を引き受けたこと、同月一〇日に原告隆一郎が出生したことは認め、その余は否認する。

(二) 原告ら主張2(二)の事実は争う。

右の定期診療の過程で、父母の血液型がB、O型であることを知り、井上医院では当時一般開業産科医では行なわれていなかったビ値の微量測定が可能であり、原因が血液型不適合であれその他の特発性のものであれ、黄疸が増強し高ビリルビン血症が疑われる時には早期に転医等の措置をとると説明したことはあり得るが、同医院には自ら交換輸血を行なう態勢は整っていないし、転医についても引受側の態勢の問題があり、交換輸血を即時実施できると約束するはずはなく、交換輪血が出来ると特に保証したことはない。

(三) 原告ら主張2(三)の事実中、関病院から引受けの承諾を得たうえ、原告隆一郎を関病院に転医させたことは認めるが、被告ら間の診療契約は争う。被告井上は関病院を紹介しただけのことである。

(四) 原告ら主張2(四)の事実は争う。

3(一)  原告ら主張3(一)の事実について

原告隆一郎が、出産予定日であった昭和四五年四月三〇日より二〇日ばかり早く、同月一〇日午前〇時七分、井上医院において出生したこと、早産ではあったが生下体重三・一kgで、出生当初その身体に特に異常はなかったこと、一一日午前から黄疸が発現したが同日午後四時三〇分のビ値は八・八であったこと、一二日には黄疸が増強し、同日午前一〇時三〇分のビ値は一八、同日午後六時三〇分のビ値は二二・五となったことは原告ら主張のとおりである。

しかし、哺乳量については、一一日午前一〇時三〇分と午後一時三〇分には二〇c.c.しか飲んでいないけれども、同日午後四時三〇分には七〇c.c.を飲んでおり、哺乳量がこのような動揺を示すことは別に珍らしいことではないのであって、一一日の段階で哺乳量の異常な減少があったというべきではない。一二日の夕方にミルクの飲み方が低下したのは事実であるが、原告らの主張するように自らの力でミルクを飲むことが全く不可能となった状態ではなく、ミルクの代りに五%のブドウ糖液を哺乳ビンにより与えられて元気よく十分の量を飲んでおり、第一期症状にいうところの哺乳力減退、即ち吸吸反射低下はみられない。一二日午後一〇時三〇分にブドウ糖液七〇c.c.を、一三日午前一時三〇分には同六〇c.c.を飲むという状況が続いていることを忘れてはならない。また、筋緊張の低下、眠ってばかりいるといった全身症状からくる各反射減弱もなく、一二日午後一〇時半には啼泣力プラス、即ち元気よく泣いている状態で、全身状態にはなお変化がなかった。

(二) 原告ら主張3(二)の事実について

被告井上は、一二日夜原告らに当時のビ値を説明し、この段階で交換輸血するべきだという考え方もありうるが、交換輸血は井上医院ではできず、他の設備人員の整った医療機関に送らねばならないが、しかし、日曜日の夜で引受けてくれるところがなく、ある程度の危険はあるが、投薬により様子をみるほかはないという様な説明をした。原告らからの転医の申立を一蹴したことはない。

(三) 原告ら主張3(三)の事実について

ところが、一三日朝になってはじめて、口唇チアノーゼ、啼泣力・哺乳力不良など第一期症状を疑わせる異常所見(但し、口唇チアノーゼは核黄疸の前駆症状ではない。)が現われ、同日午前八時のビ値は二八・六と急激に上昇したので(もっとも、関病院の測定では一三日午前一〇時でビ値二六・九であった。)、血液不適合による高ビリルビン血症を疑い、関病院の引受けの承諾を得て同病院に転医された。

(四) 原告ら主張8(四)の事実について

転医後の経過については知らない。

4  原告ら主張4の事実について

原告隆一郎が脳性麻痺を残したことは認めるが、その具体的現症は不知。

5  原告ら主張5の事実について

右脳性麻痺が核黄疸の後遺症であるとの主張は争う。

右脳性麻痺は新生児敗血症によるものである。

(一) 原告ら主張5(一)の事実は認める。

(二) 原告ら主張5(二)の事実中、一一日から一三日朝にかけて急激なビ値の上昇があったことは原告ら主張のとおりである。

そして、被告井上が転医時に想定したのも、前記のとおり血液型不適合による高ビリルビン血症であった。しかし、それは井上医院における臨床経過とビ値測定結果による一つの推測にすぎない。血液型不適合のほかにも、黄疸が増強する原因は多いし、麻痺の原因もさまざまである。

右急激なビ値の上昇が脳性麻痺と全く無関係とはいえないが、成熟児の場合にはビ値二五を越えても脳性麻痺を残す可能性はそれ程高くはない(前記のとおり、関病院の測定では一三日午前一〇時でビ値二六・九であり、右総ビリルビン値から直接ビリルビン値(二mg程度といわれている。)を差引けば、間接ビリルビン値は二五mgに達していない。)、又、本件よりはるかに高いビ値を示したもの、或いは本件より上昇速度の速かったもので、何ら異常のない例もある。

もちろん、きめ手はビ値だけでなく症状であるけれども、新生児の特異な専門病院である関病院にしてよくなしえた諸検査結果によれば、このようにビ値の上昇を促し全身症状を悪化させたものは、一二日には全くその症状の現われていなかった新生児敗血症とそれによる脳膜炎という予見できない原因であり、仮に交換輸血でビ値を抑えたとしても、この重篤な疾病は、それ自体として、十分脳性麻痺を残しうる程度のものであって、敗血症であれば、黄疸を抑えても不幸な転帰は避けえなかったであろう。

(三) 原告ら主張5(三)の事実中、核黄疸の臨床症状に関する一般的説明は認めるが、関病院への転医時には既に核黄疸の第二期症状の段階に入っていたとの主張は争う。前記のとおり、啼泣力・哺乳力不良など第一期症状を疑わせるような異常所見が現われたのは一三日朝になってからである(もっとも、一三日朝より前の段階で第一期症状にあたる異常な症状があったとしても、それが核黄疸に特有の症状ではなく、前記脳膜炎の前駆症状でもありうることからすれば、それほど意味のあることではない。)。

(四) 原告ら主張5(四)の事実について

核黄疸の後遺症としてはアテトーゼ型麻痺を来たしやすいけれども、核黄疸以外の原因で起るアテトーゼ型麻痺も多く、アテトーゼ型麻痺だから核黄疸が原因であると推論することはできない。アテトーゼ型麻痺の中には、脳膜炎によるものも数多く含まれている。

6  原告ら主張6について

(一) 前記のとおり本件は新生児敗血症が原因であって、核黄疸に関する主張は本件と無関係であるが、仮に核黄疸だとすれば、交換輸血が核黄疸防止に有効であることは確かである。しかし、交換輸血には特別の技術や人的物的設備を必要とするだけでなく、或る程度の危険も伴ない実際には必らずしも安全容易な方法とはいえない。(交換輸血の適応基準)

第一期症状の発見が困難であるため、ビ値二〇を基本としながら、いくつかの基準、例えば一時間当りの上昇速度をビ値〇・二五ないし〇・五とし、或いは、当時広く行なわれていた一時間当りの上昇速度をビ値一とするといった基準が示されているが、しかし、本件のような成熟児の場合、前駆症状がなければビ値二五までとする見解もあり、しかも、ビ値二五以上の例の半数近くを交換輸血の適応外とする見解もあって、本件当時は、第一期症状がなければビ値二五まで待つとする見解が支配的となってきていた。

もちろん、ビ値がそれ以下でも第一期症状が現われれば別であるが、本件で経過観察を決めた一二日夕方の時点では第一期症状はなかった。

(二) 被告井上は、交換輸血を必要とする事態になるかも知れないと考えたが、一二日はあいにく日曜日であり、関病院のほか二、三の医療機関を打診したにもかかわらず、引受けてもらえる医療機関がなく、やむなくACTH、タチオン、フェノバールビタールなどの投与によって黄疸を抑えながら、月曜日を待つことにした。

ACTHについては著明な薬効が認められないとされており、タチオンについては黄疸を強める可能性が示唆されているが、フェノバールビタールは今日でもかなり利用されている。ビ値の低下は望めないとしても、日曜日の夜で交換輸血の引受け手がない状況下で、やむなく投薬によりビ値上昇抑止を図ったのであり、この点の処置に何ら落度はない。

その後、前記のとおり、不幸にしてビ値は上昇し症状は進行していった。このことから、午後六時三〇分のビ値二二・五(従って間接ビリルビン値は二〇mg/dl前後。)の段階で、薬物投与による経過観察により翌日を待った措置を攻撃することは容易である。しかし、この翌日にかけてのビ値の上昇は、前記のとおり前日には全くその症状の現われていなかった敗血症、脳膜炎という予見できない原因によって促進されたものであって、単なるビ値の推移だけでことを論じるのは不当である。

(三) 前記のとおり、この間の事情はすべて原告紀子に伝え、もし経過が悪ければ、一三日の月曜日朝に転医してもらうと説明し、その了解を得ている。

(四) 敗血症について

敗血症は、被告井上と無関係な感染も十分ありうるし、その症状は非特異的なものであって臨床症状のみによるその診断は困難であるところ、一三日早朝になってはじめて口唇チアノーゼ、啼泣力・哺乳力不良などの症状がでているのであって、被告井上において初期の段階でその病因を発見できなかったことは事実であるが、一般開業産婦人科医にすぎない被告井上にこれを期待することは無理であり、これを責めることは出来ない。

7  原告ら主張7の事実は争う。

8  原告ら主張8の事実は争う。

三  被告関

1  原告ら主張1の事実は認める。

2  原告ら主張2の事実中、昭和四五年四月一〇日原告隆一郎が出生したこと、同月一三日原告隆一郎が関病院に転医したことは認め、被告井上との間で原告隆一郎に交換輸血する旨の診療契約を締結したことは否認し、その余は不知。

3  原告ら主張3の事実中、原告隆一郎が昭和四五年四月一三日から同年八月三日まで関病院に入院していたことは認めるが、その余は不知(但し、関病院に入院した時点での全身症状は後記のとおりであった。)。

4  原告ら主張4の事実は不知。

5  原告ら主張5の事実は争う。

6  原告ら主張6の事実は争う。

7  原告ら主張7の事実は争う。

(被告関のなした治療経過)

(一) 被告井上から送られた資料によれば、分娩は正常、生後二四時間目のビ値は八・八で、以後増強している。生後八〇時間目のビ値は二八・六で、嘔吐は認められないということであった。

(二) 昭和四五年四月一三日午前九時三〇分ころ原告隆一郎は関病院に来院したのであるが、チアノーゼを伴なう四肢振顫及び強直性けいれんを繰り返えしている状態であったため、直ちに哺育器に収容し、輸液、抗けいれん剤の投与を行い、けいれん発作を止めるよう努力すると共に種々の検査を開始した。

その時点の全身症状は、大泉門隆起及び四肢強直状態、自動運動はときに認めるが、種々の刺戟に対し反応非常に弱い、腹部膨満し四肢浮腫及び皮膚硬化症が認められる等であった。

以上の症状により全身感染症が強く疑われたため、血糖、血液電解質、血液ペーハー、ビ値等の交換輸血に必要な諸検査を行ったのである。

(三) 同日午前一〇時三〇分ころ、低血糖、アチドージスの所見が判明する。直ちに輸液中の糖濃度を高め低血糖に対する処置を行うが、けいれん症状はなお持続していた。

(四) 同日午後一時、腰椎穿刺にて脳脊髄液を採取し、脳膜炎を起していることが判明した。

(五) 同日午後二時三〇分ころ、けいれん症状なお持続し、現症状では交換輸血に際し血液分布不均衡の発生が心配され、輸血及び抗けいれん剤にて経過を観察する。

(六) 同日午後三時三〇分けいれん状態やや軽快、しかし四肢強直症状が軽度ながら認められた。けいれん状態やや軽快の傾向明白に認められたため手術室に移す。

(七) 同日午後四時二〇分ころ交換輸血開始する。約一時間程で交換輸血終了する。

(八) 同日午後六時、ビ値一七・九であった。なお、翌四月一四日午後六時ころのビ値は一六・九であった。

このような治療処置の経過からみて、被告関の治療処置の選択は原告隆一郎の健康状態の悪化を招かぬよう慎重な配慮を加えたものでまた治療の実行にあたっても最大限慎重な態度を採ったこと明白である。

8  原告ら主張8の事実は争う。

第三証拠《省略》

理由

第一当事者及び診療契約

一  原告ら主張1の事実は当事者間に争いがない。

二1  原告紀子が昭和四五年四月九日井上医院に入院したことは原告らと被告井上間に争いがなく、原告隆一郎が同月一〇日に出生したこと、同月一三日に関病院に転医したことは三当事者間に争いがない。

2  右当事者間に争いがない事実、並びに《証拠省略》によれば、原告ら主張2(一)の各診療契約締結の事実及び同主張2(三)の原告らと被告関との間の診療契約締結の事実が認められる。右各診療契約は、新生児期の病的異常症状を医学的に解明し、その症状に応じた適切な治療行為を行うことを内容とするものであって、準委任契約と解される。

3  原告ら主張2(二)の事実及び同主張2(三)の被告ら間の診療契約締結の事実を認めるに足る証拠はない。

4  原告らと各被告との間の前記診療契約は、同種のものではあるが、本件では後記のように治療の目的とされる心身の異常は流動的であって、必らずしも目的を一にし継続一体をなしていたとは認められず、被告らにおいて原告隆一郎の診療についての連帯債務者となる旨の黙示の特約があったとも認められない。

第二被告井上の責任

一  原告隆一郎の症状及び診療経過

1  原告隆一郎が昭和四五年四月一〇日午前〇時七分井上医院で出生したこと、出生当初その身体に異常がなかったこと、その後、原告ら主張のとおり黄疸が発現、増強し、ビ値が上昇したことは当事者間に争いがない。

右当事者間に争いがない事実、並びに《証拠省略》によれば、原告隆一郎の症状及び診療経過は別紙一覧表記載のとおりであると認められ、この認定を左右するに足る証拠はない(乙第一号証の八には四月一二日午後一〇時三〇分の欄に「啼泣力プラス」との記載があり被告井上はこれをもって同時刻には啼泣力があり元気に泣いていたとの記載だと供述するけれども、右は同号証の七に「啼泣力不良」との記載項目が設けられ四月一三日の欄にプラスと記載されている記載方法からみて、啼泣力不良がプラスの趣旨であると解する余地も十分にあり、四月一二日午後一〇時三〇分に啼泣力があったか否かは、いずれとも認定し難い。)。

2  《証拠省略》によれば、原告隆一郎が関病院に転医した四月一三日午前九時三〇分ころの症状は、(頭部)大泉門は軽度膨隆、(腹)中程度に膨満しやや固い、(四肢)自動運動時に認める、四肢強剛の存在が疑われる、(筋・骨格)中等度の強皮症状態、(皮)強い黄疸、及び小さなけいれん様の状態(マイナー・コンバルジョン)が持続している、第一度の胎児水腫状態、手足に浮腫という最重症状態であったほか、貧血もあり、同日午前一〇時のビ値は二六・九であったこと、又、同日午後二時には、脳脊髄液検査の結果、ブドウ糖(Glucose)八mg/dl、蛋白(Total prote-in)八〇〇mg/dlであることが判明したことが認められ、この認定を左右するに足る証拠はない。

二  現在の後遺症

原告隆一郎に脳性麻痺の症状が存することは当事者間に争いがなく、《証拠省略》によれば、原告ら主張4の事実を認めることができ、この認定を左右するに足る証拠はない。

《証拠省略》によれば、原告隆一郎は、(一般状態)蒼白、衰えやせて、能面様顔貌である、(運動機能)起座不能、スタピライザーに坐らせても頭部の固定不能、絶えず四肢の舞踏病様運動が見られる、痙直及び強剛は認められない、(言語)ことばらしい発声はきかれない、(知的発達)ことばによる意思の伝達が不能であるために、その理解力を推測することは困難であるが、レコードや絵本に対する態度、話しかけに対する反応などから、外見より知的に発達しているのではないかと思われる、(聴覚)聴力を測定することはできないが、少なくとも聾ではない、(日常生活)食事、排泄、衣類の着脱等はすべて全面介助を必要とする等の所見から、重度のアテトーゼ型脳性麻痺と診断される状態であると認められる。

三  右脳性麻痺の原因(その一)

原告らは右脳性麻痺が核黄疸の後遺症であると主張し、被告らはこれを争い、右脳性麻痺は新生児敗血症による脳膜炎によるものであると主張する。よって判断する。

1  《証拠省略》によれば、核黄疸とは左のとおりのものと認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない。

(一) 黄疸は新生児の九五%に出現し、そのほとんどは生理的範囲のものであって、新生児の生理的黄疸と重症黄疸との間に画然たる限界があるわけではないが、新生児期の間接ビリルビン性重症黄疸(高ビリルビン血症、又は過ビリルビン血症。黄疸の発生時期にもよるが、成熟児でビ値一二以上を重症黄疸とする例もある。)では、それが、血液型不適合による新生児溶血性疾患を原因とするにせよ、敗血症を原因とするにせよ、その他の、明瞭な原因のないいわゆる特発性のものであるにせよ、その原因の如何を問わず〔異常黄疸を呈する主要疾患としては、適応障害、奇形・先天異常(胆道閉塞等)、分娩傷害、感染症(敗血症)、Rh不適合・ABO不適合による新生児溶血性疾患、その他薬物中毒等があるとされている。〕、脳実質ことに脳底諸核に間接ビリルビンが沈着して、核黄疸を発生し、神経節細胞の退行変性ないし懐死を起こし、それによって直接死亡するか、死亡を免れても後遺症として種々の運動障害や知能発育障害などを呈する脳性小児麻痺を遺す重要な原因となることが少なくない。即ち、血清中で通常はアルブミンと結合した複合体として存在する直接ビリルビンが、この複合体から解離し、間接ビリルビンとして血管外に漏出して、細胞に対する毒性を発揮するのである。

(二) そして、この核黄疸の臨床症状は(以下の概要は当事者間に争いがない。)

第一期症状 筋緊張の低下、嗜眠、哺乳力減退、不元気(各反射減弱)

第二期症状 痙性症状(けいれん、頭部後傾、落陽現象、筋強直など)、発熱(直腸温摂氏三八度ないし四〇度)

第三期症状 筋強直の減退(生後七日ころないし二か月ころ)

第四期症状 錐体外路症状の出現(アテトーゼ、聴力障害など)

の四期に区別され(このうち、第四期症状は核黄疸による直接死亡を免れた場合の後遺症状であって慢性期症状と称すべきものであり、第一期ないし第三期が急性期症状である。)、第二期症状出現以後においては脳の病変は不可逆性となっており、たとえ交換輸血により救命しえても恒久的な脳障害による後遺症状(例えば、脳性麻痺、難聴、その他神経系の障害ないし麻痺、精神薄弱等)を残す可能性が強い。

核黄疸の後遺症にはアテトーゼ型の脳性麻痺を来たしやすく、これを黄疸後脳障害の必発の症状であるとする意見もある。アテトーゼ運動は、四肢ことにその末梢部・頸・項・顔面などに集団的にたえず緩除な動作としてあらわれ、両側性のものが多く、重症では起居・歩行もまったくできず、なかには発言の不能のものもある。経過は一般に慢性である。

(三) ところで、前記重症黄疸のうちでも、ビ値二〇以上の重症黄疸の頻度は全出生の〇・八五ないし〇・四六%、又は一・八%とかいわれ、ビ値二五以上の重症黄疸の頻度は全出生の〇・五%とか〇・六三%とかいわれてもいるが、いずれにしてもビ値二五以上の重症黄疸の約四分の一は核黄疸を発生して脳性麻痺を残す可能性があるとされている(ビ値をイクテロメーター等で測定しはじめた昭和三八年以後はビ値二五以上の半数以上を交換輸血の適応にしてしまったから、この群を放置したときの障害率を知ることはむずかしい。)。

2  さて、右によれば、既に認定した原告隆一郎の症状経過のとおり、原告隆一郎は生後六六時間目である四月一二日午後六時三〇分にはビ値二二・五、生後八〇時間目である四月一三日午前八時にはビ値二八・六(同日午前一〇時のビ値は二六・九と測定されたこと前記のとおりである。《証拠省略》により測定誤差もあり得ると認められるけれども、いずれが誤りであるとも認められず、ビ値二六・九との測定結果をもってビ値二八・六との測定結果を必らずしも排斥できない。)となっており、その原因が何であったにせよ、重症黄疸(高ビリルビン血症)に罹患していたことが認められる。

3  更に、前記の如く四月一二日午後六時三〇分にはビ値二二・五に達し、同七時三〇分には、ブドウ糖液は飲んだとはいえ、ミルクを受けつけにくい状態で飲み方が低下し、同月一三日午前七時三〇分には啼泣力、哺乳力不良となっているのであるから、一二日夕方から一三日早朝にかけて核黄疸の第一期症状が発現したと認められるところ(《証拠省略》によれば、当時、被告井上も一二日夕方の時点で交換輸血の適応と判断したことが認められる。《証拠省略》中には、一見右認定と相違するかの如き部分もあるが、仮に被告井上の供述するように一二日夕方にはブドウ糖液を飲んでいることから哺乳力不良になっていたとまではいえなかったにせよ、臨床症状として異常を呈していたことは否定できないのであって、又右小川次郎は臨床症状については詳細にこれを知り得ないのであり、些細に検討すれば、いずれも、必らずしも右認定したところに反せず、他に右認定を左右するに足る証拠はない。)、一三日午前九時三〇分に関病院へ転医した時点では、前記のとおり、四肢強剛の存在が疑われる状態で、小さなけいれん様の状態が持続していた等の最重症状態であったのであるから、転医時には既に、核黄疸の第二期症状に入っていたものと認めるのが相当である(《証拠判断省略》)。

4  被告らは新生児敗血症を主張するところ、右臨床症状を、被告井上主張の如く、核黄疸の臨床症状でなく、敗血症もしくは髄膜炎の臨床症状とみることも出来るけれども、臨床症状として競合している点があるにせよ、一方でビ値二八・六という高ビリルビンが認められる以上、右臨床症状を核黄疸の臨床症状でないというは難く、結局、前記のとおり、一三日午前九時三〇分の転医時には核黄疸の第二期症状にあったと認めざるを得ない。

5  原告隆一郎の脳性麻痺は、前記のとおりの重度のアテトーゼ型脳性麻痺である。

6  以上を総合すれば、訴訟における証明にあっては、極めて厳格な自然科学的証明まで要求されるわけではなく、諸般の証拠から見て、合理的な疑いを残さない程度の蓋然性が得られれば足りるというべきであるから、原告隆一郎の脳性麻痺は、核黄疸によるものといわざるを得ない〔核黄疸の原因がABO母子血液型不適合による新生児溶血性疾患であったか(《証拠省略》により、本件核黄疸がRh血液型不適合による新生児溶血性疾患に起因するものではないことが認められる。)、或いは敗血症その他の原因によるいわゆる非溶血性のものであったかは、《証拠省略》によれば、いずれにしても、その予防、治療法において基本的には何ら異なるところはないと認められるのであるから、そのいずれかを確定することは、本件の判断を左右しないが、原告ら主張5(一)の事実は当事者間に争いがなく、右事実と《証拠省略》によると本件核黄疸の原因がABO不適合による新生児溶血性疾患であったとの可能性は否定できない。〕。

四  右脳性麻痺の原因(その二)

1  もっとも、《証拠省略》によれば、被告ら主張のとおりの左の事実を認めることが出来、この認定を左右するに足る証拠はない。

(一) 新生児期の細菌性髄膜炎は、菌が血行中にはいって菌血症(敗血症)を起こし、次いで髄膜に転移して発生する場合が多く、このような敗血症ないし髄膜炎は(全身感染にかかっているにもかかわらずまだ脳に感染していない場合も一応は考えられるけれども)、脳感染(脳膜炎)と同意義に考えてよく、比較的まれな疾患(その発生頻度は二、〇〇〇ないし二、五〇〇分の一とされている。)ではあるが、死亡率は二〇ないし五〇%とも七五%ともいわれ、救命しえても、後遺症発生率は高い(生存例の五〇%は何らかの神経障害を残すといわれている。又、被告関の供述によれば、関病院での完治率は七%位といわれる(これは産婦人科のない小児専門病院での数値であって、重症状態での入院が多いとの供述に照らして、必ずしもそのまま採用できない。)。)。

原因としては、分娩経過中に臍あるいは口腔から感染することが多い。初期症状は不明確で、はっきりしないことが多く、診断は困難で、初期には徐々に進行し発熱、嘔吐、けいれん等の髄膜炎における主要症状を欠くので診断上特に注意を要する。急速に重篤な症状を示すことが多く、発熱、食欲不振、不機嫌、嗜眠、呼吸困難などが主要症状であるが、発熱しないことも多く、逆に低体温を示すこともある。下痢は普通はなく、大泉門の膨隆、けいれん等はおそくなって現われる症状である。症状のまぎらわしいことが多いから、疑いが少しでもあれば、腰椎穿刺を行い、髄液の検査と細菌を証明することが診断の要点である。治療としては抗生物質を投薬することが主である。後遺症の種類としては、知能発育障害、脳波異常、麻痺、けいれん、精神症状、聴力・視力障害などがあげられている。後遺症としての脳性麻痺には痙直型が多いが、アテトーゼ型脳性麻痺の原因ともなる。

2  さて、右によれば、既に認定した原告隆一郎の症状経過のとおり、原告隆一郎は四月一三日午後二時には、脳脊髄液検査の結果、ブドウ糖八mg/dl、蛋白八〇〇mg/dlであったのであるから、髄膜炎ないし脳膜炎に罹患していたことが認められる。

3  しかも、同日午前九時半ころには、大泉門は軽度に膨隆し、小さなけいれん様の状態が持続している状態等、最重症状態であったのであるから、脳膜炎のかなり進行した段階にあったと認められ、この認定を左右するに足る証拠はない。

4  原告隆一郎が重度のアテトーゼ型脳性麻痺であること前記のとおりである。

5  以上を総合すれば、原告隆一郎の脳性麻痺は、脳膜炎をも原因とするものといわざるを得ない(《証拠省略》も、必らずしも右判断と相違するものではなく、核黄疸が主要な原因である可能性が高いとしつつ、脳膜炎が原因であることをも否定できないとしており、他に、右判断を左右するに足る証拠はない。)。

6  しかしながら、脳性麻痺の原因として脳膜炎があったにはせよ、原告隆一郎の現症状の全部が脳膜炎のみによるものと認めるに足る証拠はなく、従って、右5の認定をもってしても、原告隆一郎の脳性麻痺が核黄疸によるものであるとの前記認定を覆えすことはできないものというべきである。

もっとも、このことは核黄疸についても全く同様に考えられる。原告隆一郎の現症状は、核黄疸を原因とするものと、脳膜炎を原因とするものと、その双方を原因とするものとが有機的一体となって発症しているものであって、この現症状を各原因ごとに区分することはできない。だとすれば、結局、事実的因果関係としては、現症状の全体について、核黄疸と脳膜炎とが競合してその原因となっているものと認めるのが相当である。

五  被告井上の不完全履行

1  《証拠省略》によれば、左の事実が認められ、これを左右するに足る証拠はない。

(一) 新生児の間接ビリルビン性重症黄疸の予後は核黄疸を併発するか否かによって決定されるといっても過言ではない。核黄疸発生防止策としては種々の薬物療法なども考案されてはいるが、著効は期待し難く、当時から交換輸血がそのすべてであるといって差支えないとされていた。交換輸血とは、一定の術式に従い体内の血液を瀉血して新血液を輸血することにより、間接ビリルビン性重症黄疸に対して、原因の如何を問わず、蓄積ビリルビンを一挙に除去して核黄疸発生防止をはかるという目的に利用される治療方法である。この療法による治療成績は、施行時期の手遅れさえなければ、まず満足すべきものであって、ABO型不適合の場合であれば、ほとんど核黄疸にならないといわれている。

(二) 交換輸血の適応時期

しかし、交換輸血は必らずしも安全容易な方法とはいえず、術後肝炎により死亡する等の例もあるので、その適応を慎重に考慮し、濫用は慎まなければならない。

とはいえ、核黄疸を生じる危険のあるような異常黄疸を洩れなく診断することは容易ではなく、しかも、第二期症状出現以後においては、脳の病変は不可逆性となっており、たとえ交換輸血により救命しえても恒久的な脳障害による後遺症を残す可能性が強いのであるから、従って、第一期症状を疑わせる場合は、直ちにビ値測定などを行ない、施行時期を失することなく、交換輸血することが肝要である。

核黄疸発生に関するビ値の限界値としては(ABO式不適合を除くその余の母児間血液型不適合による新生児溶血性疾患の場合は別論として)、成熟児の場合、ビ値二〇とする意見がかつては支配的であったが、第一期症状のみられない限りは原則としてビ値二五として差支えないとの意見も大方の支持を得つつある。但し、第一期症状は特異性に欠けるため、その発見判定が非常に困難であるから、実地臨床上は核黄疸発生危険閾値をビ値二〇とするのが無難ともいわれている。なお、ビ値は出生後時間によって変動するものであり、生後の上昇速度が一時間当りビ値〇・二五ないし〇・五(或いはビ値一以上)、もしくは、一二時間目におけるビ値一〇ないし一二以上、二四時間目におけるビ値一〇以上か、四八ないし七二時間以内にビ値二〇以上等の早発黄疸のときは、そのほとんどがその後にビ値二五以上となり、しかもその上昇度が早く翌日まで待ったのでは手遅れになることが多いので、その時点で交換輸血の適応とされている。しかし、いずれにしても、ビ値三〇以上で脳性麻痺を遺さない例も多く、ビ値いくら以上になれば必らず核黄疸となるとはいえず、危険閾値をいくらとするかは各医師により差がある。けれども、少なくとも第一期症状が発現した時には、最早や核黄疸なのであるから、直ちに交換輸血の適応とすべきことには異論がない。

2  さて、右によれば、既に認定したとおり、原告隆一郎のビ値は、生後二五時間目である四月一一日午前一時三〇分に黄疸が可視状態に達した後、生後四〇時間目でビ値八・八、同五八時間目でビ値一八、同六六時間目でビ値二二・五、同八〇時間目でビ値二八・六と短期間に異常な上昇をしでおり〔《証拠省略》によれば、右ビ値上昇は最重症状態児(ハイリスク・ベビー)としては左程急激なものでないとの供述があるが、これは《証拠省略》、並びに前認定のビ値上昇の限界値に照らし、一般論としては、必らずしも採用できない。〕、その一時間当り上昇速度はビ値約〇・五であり、しかも、一二日夕方から一三日早朝にかけて、核黄疸の第一期症状にあったと認められるのであるから、被告井上は、四月一二日午前一〇時三〇分・生後五八時間目にビ値一八に達し(上昇速度は一時間当りビ値約〇・五一であった。)た段階で、高ビリルビン血症の進行をある程度予想し、同日午後六時三〇分・生後六六時間目にビ値二二・五に達し(上昇速度は一時間当りビ値約〇・五六であった。)た段階で、あるいは同日午後七時三〇分、ミルクを受けつけにくい状態で飲み方が低下した段階で、交換輸血の実施を計り(前認定のとおり、被告井上も一二日夕方には交換輸血の適応と判断したのであるから)、遅くとも第一期症状が継続している間に、即ち遅くとも一三日早朝までに交換輸血を完了するべきであったと認められ、この認定を左右するに足る証拠はない。

3  にもかかわらず、被告井上は右交換輸血の実施を怠たり、その結果、原告隆一郎をして四月一三日午前九時三〇分には核黄疸の第二期症状に至らしめたものであるから、その後遺症である脳性麻痺につき責任があるといわざるを得ない。

4  被告井上の主張について。

(一) 被告井上は一二日はあいにく日曜日であり、関病院のほか二、三の医療機関を打診したにもかかわらず、引受けてもらえる医療機関がなく、やむを得なかったと主張する。

しかし、《証拠省略》によれば、昭和四一年に、兵庫県下で八病院、大阪府下で一三の病院が交換輸血のできる病院として列記されており、《証拠省略》によれば、昭和四五年当時では、中規模の病院でも交換輸血を実施し得る物的、人的設備を有していたし、たとえ休日であっても大病院であれば交換輸血を行ない得たと認められ、この認定を左右するに足る証拠はない。だとすれば、被告井上は転医のため十分な努力をしたとは認め難く、右被告井上の主張をもってしてはその責を免れるに由ないものというのが相当である。

(二) 被告井上のなした投薬が、核黄疸後遺症の防止として交換輸血に代りうる有効適切なものであったと認めるに足る証拠はない。

(三) 仮に、被告井上主張のとおり治療経過について原告らの承諾が得られていたとしても、このことをもってしては、医師としての診療契約上の注意義務を免れ得ないことはいうまでもない。

(四) 《証拠省略》によれば、関病院への転医にはその移動に約一時間を要し、仮に入院時に第二期症状に入っていたとしても、それは井上医院出発後のことであって診療契約終了後の事情であるやにいう部分があるが、被告井上の診療義務は、本件では関病院への入院時まで及ぶというべきであり、又、関病院への入院時に既に認定した如き最重症状態であったことよりすれば、《証拠省略》中、井上医院では何ら第二期症状を疑わせる症状がなかったやにいう部分はたやすく採用し難い。

5  脳膜炎について。

前認定のとおり、原告隆一郎の脳性麻痺の原因の一は脳膜炎であるところ、被告井上において脳膜炎(ないし敗血症)を診断し得ず、その治療をなさなかったことは同被告の自認するところである。ところで、《証拠省略》によれば、脳膜炎の確定診断を一般の開業産婦人科医に期待することは困難で、脳膜炎の治療を被告井上に求め難いかのようであるが、右は腰椎穿刺による脳脊髄液の検査等による確定的な診断を期待し難いというに止まるものと認められるので、脳膜炎(ないし敗血症)であるとの確定的な診断をなしえなかった点では被告井上に過失があったということはできないが、右確定的診断を期待し難いことをもってしては、被告井上に対し、既に認定した病的症状の原因を医学的に解明し適切な治療を行なう努力をも免ずるものとは解し難い。この点において、四月一三日午前九時三〇分関病院で最重症状態と診断されるまでの間に被告井上において適切な診療をなしたとの主張立証は認められないのであるから、前記一二日夕方の症状に照らし、被告井上は、つぶさに臨床症状を観察し、哺乳量の低下及びビ値の上昇等から、核黄疸による後遺症防止のための交換輸血を実施するのみならず、その原因解明のための努力、即ち、必要な諸検査或いはそのための転医措置等をなし、適切な治療を期すべきであったのにこれを怠たり、その結果、併発していた脳膜炎を亢進せしめたものというべきであり、少なくともこの範囲(即ち、右被告井上の義務懈怠による脳膜炎の亢進に起因する脳障害の拡大範囲)において過失があったものというべきである。右認定を左右するに足る証拠はない(原告らは被告井上の感染防止義務違反を主張するけれども、被告関本人尋問の結果によれば、生後六日以内の発症は先天的感染と認められるところ、右に徴しても、右原告ら主張は認め難い。)。

被告の主張については右五4のとおりである。

6  以上を要するに、原告隆一郎の前記後遺症の原因が、核黄疸であると、脳膜炎であるとのいずれの面でも(右以外の原因については何らの主張立証がなく、原因とされるものは右二者のみである。)、被告井上には、右のとおり核黄疸を原因とする面ではその全体につき、脳膜炎を原因とする面ではその一部につき、各過失があるというべきところ、脳膜炎の治癒率、診断の困難なこと(特に被告井上にはその確定的診断は期待し難かったこと)、その原因が先天的感染であったこと、その後遺症状の多様性及び本件症状の経過(なかんずく、原告隆一郎の臨床症状が異常を呈したのは四月一二日夕方からであり、四月一三日には転医しているのであるから、被告井上に診療上の過失があるとはいえ、被告井上において適切な診療をなしうる機会は比較的短急であったこと)等前認定の諸般の事情に照らすとき、結局、被告井上が負担すべき賠償責任は、本件後遺症に基づく全損害の五割と認めるのが相当である。右認定を左右するに足る証拠はない。

六  損害

1  原告隆一郎

左記(一)、(二)の合計額 三三七八万三、〇七七円

(一) 逸失利益

前記のとおり原告隆一郎は昭和四五年四月一〇日出生した男子で、出生直後に核黄疸及び脳膜炎に罹患したものであるが、当時における同年令者の平均余命は、《証拠省略》により七一・二〇年であると認められ、高等学校卒業後の満一九才に達する時から満六七才に達するまでの四八年間は稼働が可能であると推測される。ところで原告隆一郎は当時まだ生後半月足らずの新生児であり、同人の将来の職業及び収入を推定することは困難であるが、このような場合には信ずべき統計資料に基づきその収入を推定せざるを得ない。そして、当裁判所に顕著な「賃金センサス」昭和四八年第一巻第一表によれば、原告ら主張のとおり、昭和四八年産業計・企業規模計男子労働者の平均年間給与額は、一六二万四、二〇〇円である。そして、原告隆一郎の労働能力喪失率は、前記後遺症の程度からみて、一〇〇%と認めるのが相当であるから、右金額を基準として、年五分の中間利息の控除につきホフマン式計算法により、原告ら主張のとおり、本訴提起時における推定稼働可能期間中の逸失利益現価額を算出すると(原告隆一郎は本訴提起時に満四才であるからホフマン係数は二八・〇八六五から一〇・九八〇八を減じた一七・一〇五七となる。)、二七七八万三、〇七七円となる。

1,624,200円×17.1057=27,783,077円

従って、原告隆一郎は本件後遺症により右同額の得べかりし利益を失なったものということができる。

(二) 慰藉料

原告隆一郎が本件脳性麻痺により生涯を通じて肉体的、精神的苦痛に苦しむであろうことは想像するに難くない。

右苦痛と本件不完全履行の経過、内容その他本件にあらわれた一切の事情を斟酌すれば、原告隆一郎に対する慰藉料としては、金六〇〇万円をもって相当と認める。

2  原告六百年

左記(一)、(二)の合計額一四六九万〇、七七六円

(一) 監護費用

前認定のとおり、原告隆一郎は日常の起居動作が全く不可能で、常時誰かの介護を要する状態にあり、かつこの状態は将来に治癒回復される見込みはないから、父である原告六百年が原告隆一郎の扶養義務者として、その監護費用を負担しなければならないこと明らかである。ところで《証拠省略》によれば、産業計企業規模計学歴計女子労働者のきまって支給される現金給与額は月額三万四、七〇〇円であると認められ、原告主張のとおり、一か月三万円(年間三六万円)は要すると認められる。そして、原告隆一郎の右状態は今後少なくとも前記平均余命内である原告ら主張の七〇才までは続くものと認められるから、右金額を基準として、年五分の中間利息の控除につきホフマン式計算法により七〇才までの監護費用現価額を算出すると原告ら主張のとおり、(罹患当時から七〇才まで七〇年間のホフマン係数は二九・六九六六である。)一〇六九万〇、七七六円となる。

360,000円×29.6966=10,690,776円

従って、原告六百年は原告隆一郎が常時介護を要する脳性麻痺となったことにより、右同額の損害を被ったものということができる。

(二) 慰藉料

原告六百年は、男子出生の喜びも束の間、一転して治癒不能の重症心神障害児を抱えるに至ったのであるから、甚大な精神的苦痛を被っていることは想像に難くない。そして原告隆一郎の右後遺症の状態は、生命を害された場合に比肩しうる程度のものということができるから、民法七一一条の精神に照し、父である原告六百年は本件診療契約の当事者として、右精神的苦痛に対する慰藉料を請求しうるものと解するところ、その慰藉料としては、原告の右精神的苦痛、本件不完全履行の経過、内容その他本件にあらわれた一切の事情を斟酌して、原告六百年につき、四〇〇万円をもって相当と認める。

3  原告紀子

原告隆一郎の母原告紀子に対する慰藉料としては、右同様、四〇〇万円をもって相当と認める。

七  以上を総合すれば、被告井上は、原告隆一郎に対しその損害額三三七八万三、〇七七円の五割である一六八九万一、五三八円を、原告六百年に対しその損害額一四六九万〇、七七六円の五割である七三四万五、三八八円を、原告紀子に対しその損害額四〇〇万円の五割である二〇〇万円を、それぞれ支払わなければならないこととなる。

第三被告関の責任

原告らは、被告関は相当な手術をなすべき義務を懈怠し、交換輸血に失敗したと主張するけれども、被告関主張7(被告関のなした治療経過)についてはこれを明らかに争わないところ、右治療経過によれば原告主張の事実を認めるに足らず、他にこれを認めるに足る証拠はない。

第四  よって、原告らの被告井上に対する請求は、原告隆一郎につき一六八九万一、五三八円、原告六百年につき七三四万五、三八八円、原告紀子につき二〇〇万円と右各金員に対する記録上訴状送達の翌日であることが明らかな昭和五〇年二月九日から支払ずみまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める範囲内で理由があるからこれを認容し、その余は棄却し、原告らの被告関に対する請求は全て理由がないのでこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条、第九二条、第九三条、仮執行宣言につき同法第一九六条を各適用し、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 中田耕三 裁判官 朴木俊彦 田中恭介)

〈以下省略〉

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